親の愛がわからないと感じても、そこに愛はある

令和最初のこどもの日

GW!
この時期、農業をしていた父母は、田植えで忙しく、どこかに連れて行ってもらうということはなかった

私自身も、母子家庭であったこともあり、子供とどこかへ出かけるということがなかった

お友達が、親と出かけることがうらやましかった

もしかしたら、私の子供たちも、そう思っていたのかもしれない

子供は、親に何かを求めていても、それを伝えられない時もある

例えば、「どこかに連れて行って欲しい」のは、忙しく仕事をしている親に対して、「私を見て」と、言いたのかもしれない

伝え方も言葉もわからない小さな子供は、その気持ちをどうやって伝えたらいいかわからない

それが、「どこかへ連れて行って」という表現になるのかもしれない

「どこかに連れて行ってもらっているお友達がうらやましい」のじゃなくて、「私を見て。一緒に(場所と時間)を、共有して」と、言いたかったのかもしれない

私は、ここにいる
私を、見て

どこかで、孤独を感じていたのかもしれない

自分は、親に愛されていないんじゃないか

そう、思っていたのかもしれない

親もまた、忙しいことを理由に、子供の気持ちを見えなくしているのかもしれない

私たちは、本当の愛と、本当の自分を知るために、自分と関わる人を選んで生まれて生きている

親は、産まれてきたとき一番最初に関わる人で、どんな関係にあろうとも、人生に影響を与える最初の人間となる

「自分は親に愛されてなかった」と、いう人も多いが、どんな環境であれ、親は私達の為に、私達を産んでくれたことに間違いはない

はるか昔、遠い空の上で、私達が自分らしく生きるために、「どんな事があっても、私が自分らしく生きるために協力者としての役割」を果たすために

その為には、恨まれるようなことも引き受けてくれた親は、本当に「愛してくれている」からこそ、その役割を引き受けてくれたのだと、知って欲しい

誰も、愛されていない人はいない

みんな愛から出来ていて、愛を送っているのだから

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